第27回「人生捨てたもんやない」(05年3月15日掲載)

数年前、日本へ帰国した友人の言葉だ。
彼は私よりもニューヨークにいる年数が長かったが、仕事のことやヴィザのこと、更には恋のことなどで色々と悩み多き青年だった。だから、ヴィザも切れるし、今までの恋も精算したし、もうこの際ニューヨークの生活にはピリオドを打ち、日本で新しく人生をやり直そう、と思って帰国したのだった。
彼がニューヨークに来た理由は、サラリーマンとしてのそれまでの仕事に嫌気がさし、デザイナーになろうと思ったからだ。思い叶ってデザイナーにはなったものの、納得の行く仕事になかなか恵まれなかった。そういう生活が数年間続いた。外国人だったら誰もが経験するヴィザのことでもかなり辛い思いをしたらしい。
帰国後しばらくしてから上京し、白金にマンションを借り、適当に仕事もしている、と知った。
更に丁度一年たった時、またその彼からメールを受け取った。
「去年の今日、ぼくは日本に帰国したんだけど、その頃は、まさか、今のような生活になるとは、夢にも思っていなかった。人生捨てたもんやない」と書いてあった。
デザイナーとしていい就職口も見つかり、とっても充実した生活を送っているとのこと。私はちょっとした衝撃を受けた。
その年は、友人たちからも同情されるぐらいに災難続きで(カード各種、免許証、キャッシュ1000ドルなどが入ったバッグを何処かへ置き忘れてきてまうし、車は盗まれそうになるし、夫の仕事は落ち込むし、などなど)、私はめげていた。罰が当たるようなことでもしたのかなと、自分の過去を振り返って色々と反省したり、前世でも相当悪いことをしていたのだろうか、とも疑った。そんな最悪な状態の時に、横から「人生捨てたもんやない」なんて言われてしまったのだからショックだったのだ。
誰の人生でもそれなりに、山あり谷ありだ。そういう「山あり谷あり」を実感する時に、「人生捨てたもんやない」と思えるのは幸せだ。何だか、彼らしい。私の場合「人生、こんなもんかな」と思うことは多々あっても、「人生捨てたもんやない」なんて思うことは、ニューヨークロットにでも当たらない限り、これからもないんだろうなあ、と苦笑した。
昨年、彼は、帰国してから知り合った、若くてキレイな女性と結婚し、ますます幸せな人生を歩んでいるそうな。末永くお幸せに。




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