| 第23回「ディスポーザブルな生活」(05年2月12日掲載) アメリカは、使い捨て文化が私たちの生活の中でもかなり浸透している。 コンタクトレンズ、ペーパーカップ&プレイトなどは勿論のこと、赤ちゃんグッズ関係は忙しいワーキングマミーたちの手間を取らない為、というのもあるが、衛生上の問題もあって、やたらと充実している。 哺乳瓶など、確かに一々煮沸消毒しなくてもいいディスポーザブルタイプは、便利と言えば便利であるが、一度で捨ててしまうのは、あまりにもその哺乳瓶を馬鹿にしているような気がして、私にはできない。 衣類など、ワンシーズンだけもてば充分かな、と一回洗濯しただけで型が崩れる安いものなら、確かに捨てるのにも惜しまなくて済む。 家電はちょっと壊れたら時間をかけて修理に出すよりも、新しいものを買い換えたほうがうんと安上がりだし、手っ取り早い。 食事だって、「嫌だったら別に全部食べなくてもいい」というルールがあり、日本人のようにお百姓さんやお料理してくれた人の気持ちなんてまるで考えずに平気で捨ててしまう。 車は勿論、消耗品だし、極端な話し、住居なんかも「一生モノ」なんて考えていると、この国ではダメなのだ。 考えてみれば、「結婚相手」だって、うまく行かないと思ったら、どんどん取り替える。そういう生き方自体も、ディスポーザブルと言えるだろう(なんて言う私も、現在の結婚は2回目なんだけど)。 国が豊かでものが溢れているのはいいことかもしれないが、それゆえ、ものに対するリスペクトといいうものが、なくなってきている。 そういう所で、エコロジー問題の改善に取り組んだって、それこそ消費をしまくるアメリカ人の「もとをたたなきゃダメ」なのではないか。 何でも大切にしなさいと育てられた、私の価値観とはかなり食い違うので、アメリカ人のこの「無駄の多さ」に、時々頭に来る時がある。 サランラップをぐるぐる巻きに使用している夫に対して「あ〜あ。もったいない!」と呆れる私は、ただのケチなのかなあ? |
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